Vol.44 No.3 No.171 日本の港町
〔表紙解説〕
「官許新刊新潟全圖(表紙)」
(不由書院蔵版、明治3年(1870)、独立行政法人国立公文書館蔵、72.0×100.0cm、30%縮小、金坂清則撮影)
「官許新刊新潟全圖(表紙)」
(不由書院蔵版、明治3年(1870)、独立行政法人国立公文書館蔵、72.0×100.0cm、30%縮小、金坂清則撮影)
本図は稀觀図である。管見の限りでは、国立公文書館内閣文庫・国立国会図書館・東京大学附属図書館南葵文庫・立正大学図書館田中啓爾文庫と新潟県立図書館に所蔵されているだけであり、内閣文庫の2点は元は外務省のもので実務に用いられた痕跡を留める。また、詳述は省くが、東京の不由書院から刊行された直後に新潟の三條屋忠蔵からも出版された。識語の年月からすると出版は同じ明治3年と考えられ、これが開港実現の1年後なので、開港を記念した出版だったとわかる。さらに、識語を著わした藤澤秋陽とは佐渡の幕臣で、幕府の通辞として開港場問題に関わっていた藤澤親之であり、明治以後は内務省の官吏だったので、このようなことが藤澤が識語を著わし、図の刊行に繋がったと考えられる。また、不由書院の名が見えるのが、この4年後に藤澤がここから出した『日本消息文典』(上・中・下)と題する優れた国語学書が最後なのに加え、不由が中国語であり、藤澤が漢籍に通じていたことからすると、不由書院自体も藤澤が立ち上げた可能性がある。それだけに、藤澤が名を伏せて「某氏」とした、本図の基になった図の作成者の特定が望まれる。
というのは、①「越後新潟全圖」と題する主図を中心に据え、3つの割図が開港場としての新潟の特質を補完するだけでなく、「越之 后州對岸」図の内容と連動するようになった「越後河表」図を含む余白の活用が見事な上に、②美しいのに加えて、砂丘等を絵画的に表現しつつも、方位を明示し、鳥瞰図的でありながらも視座を極めて高い位置に設定して基本的には平面図として描いた主図が、歪みのない縮尺五千分一の近代地図をなしているからである。しかも、③バードの実に的確な都市構造の把握等を可能にした地図でもある上に、④パークスが入手していたであろう地図とも関わる可能性も考えられる(『完訳2』訳注)。さらに、⑤「新潟港地圖」(本論図2)も関わる「新潟對岸圖」が、『新潟市史 上』(昭和9)所収の「明治三年新潟港圖」を基に加筆されたものであることからして、作成者は新潟の最新情報にも西洋の近代地図にも通じた人物だったと推考される。
本論を併せ読む読者は、本図が新潟の絵図・地図史、開港場史とバードの記録のすべてに関わる必須の地図だと実感するに違いない。(金坂清則)
というのは、①「越後新潟全圖」と題する主図を中心に据え、3つの割図が開港場としての新潟の特質を補完するだけでなく、「越之 后州對岸」図の内容と連動するようになった「越後河表」図を含む余白の活用が見事な上に、②美しいのに加えて、砂丘等を絵画的に表現しつつも、方位を明示し、鳥瞰図的でありながらも視座を極めて高い位置に設定して基本的には平面図として描いた主図が、歪みのない縮尺五千分一の近代地図をなしているからである。しかも、③バードの実に的確な都市構造の把握等を可能にした地図でもある上に、④パークスが入手していたであろう地図とも関わる可能性も考えられる(『完訳2』訳注)。さらに、⑤「新潟港地圖」(本論図2)も関わる「新潟對岸圖」が、『新潟市史 上』(昭和9)所収の「明治三年新潟港圖」を基に加筆されたものであることからして、作成者は新潟の最新情報にも西洋の近代地図にも通じた人物だったと推考される。
本論を併せ読む読者は、本図が新潟の絵図・地図史、開港場史とバードの記録のすべてに関わる必須の地図だと実感するに違いない。(金坂清則)
付録:2025年カレンダー The Exposition City SAN FRANCISCO