〔表紙・裏表紙・付録解説〕
表紙:大東京鳥瞰図(大正10年12月2日発行)・裏表紙:帝都大震災火災系統地図(大正12年12月27日発行)
付録:増補改訂神田浜町日本橋北之図
今号は「東京の市場」特集ということで、当財団所蔵の地図で日本橋から築地への市場移転を見てみよう。
付録地図(カレンダー)は江戸切絵図。嘉永3年庚戌春、尾張屋清七(金鱗堂)版元、景山致恭著。麹町にあった金鱗堂は地本問屋で、多色刷り絵図で人気を呼んだ。幕府官吏の住む番町付近はしばしば屋敷が変更されるので、たびたび改訂していたという。図の下には日本橋、江戸橋が描かれ、両橋北河岸に本舟丁、本郷丁の町名が見える。この河岸は17世紀初頭から300年にわたり江戸・東京の台所であり続けた。
表紙は平成24年5月発行の地図情報121号、特集“地図と地形”で歩く東京付録「大東京鳥瞰図」の日本橋~築地周辺である。同号20~21ページで藤本一美氏がこの地図について解説されている。表紙右上、日本橋三越の右側に「魚河岸」の文字が見られる。今は首都高が上空を走っている。この鳥瞰図は大正10年に発行されたもの。この2年後に関東大震災で魚河岸は壊滅し、東京も姿を変えることになる。
裏表紙は「大正十二年九月 帝都大震災火災系統地図」で、表紙とほぼ同じ範囲を掲載している。発行は大阪毎日新聞、震災から4か月のスピードで発行された。この大震災で、魚河岸が築地に移転することとなったのは特集の通り。その後、東京は第二次大戦末期の空襲で再度大きく変貌することになるが、築地界隈は空襲にあわず、現在も昭和初期の姿をとどめている。(編集部)