〔表紙解説〕
「御天守五重目より見通地名方角図」(名古屋城開府三百年紀念円形展望図絵葉書、名古屋拝観紀念絵葉書会発行、明治43〈1910〉年、藤本一美蔵)152%拡大
絵葉書大の彩色図、左上のゴム印によれば、名古屋城開府300年目の明治43(1910)年に紀念展開催(3月16日~6月13日)実施した際に配布されたものであろうか。
天守閣から視界は、眼下の名古屋市街地の奥に伊勢湾を取り巻く伊賀山や観音山、大垣の奥に伊吹山、岐阜の右奥には加賀白山、さらに木曽御嶽や木曽駒ヶ嶽、美濃恵那山と続く。驚くことに猿投山の左手奥には駿河の本家富士山まで見えるとは! 作者不詳。
今では科学的には名古屋から富士山は見えないことは定説となっているが、江戸期の「金城見透之図」(名古屋天守閣から360度手彩色図、30×750cm、伊川院作画)や「尾張絵図」(名古屋天守閣からの円形展望図、江戸後期、名古屋市蓬左文庫蔵)、『金城温故録』の「遠見絵巻物」、『蓬左遷府記稿』などの同類の大判絵図。「名古屋城天守台遠望実景全図」(明治23〈1890〉年、裏表紙の図、藤本蔵)、北斎の『富嶽三十六景』のうち「尾州不二見原」(本当は富士山ではなく、南アルプスの聖岳の誤認。実証は安井純子氏、『岳人』1994年5月号参照。田代博著『「富士見」の謎』祥伝社新書、2011年に紹介)など、過去の作品を疑いもなく踏襲してきた結果、同じ過ちを繰り返してしまったようだ。裏表紙の図との比較が興味深い。(藤本一美)