〔表紙解説〕
「北海道交通案内図」(85万分1、昭和25年7月20日北海道旅客輸送協会発行、地図情報センター蔵)
北海道の鉄道敷設は幌内(三笠市)−手宮(小樽市)を結ぶ幌内鉄道に始まる。これは現在の函館本線などにあたる路線である。幌内で発見された石炭を小樽港に搬出するためのもので、1882年に全線が開通した。幌内周辺には膨大な炭層が見つかり、空知・美唄・夕張などの炭鉱開発も進められ、それらの炭鉱を結ぶ路線と、室蘭港に輸送するための現在の室蘭本線にあたる路線が敷設された。本州では鉄道は都市間の輸送手段として敷設されたが、北海道では石炭搬出が主目的であった。地図中からも終点が歌志内、幾春別、夕張などとなっている盲腸線が確認できるが、その多くが炭鉱からの石炭搬出用につくられた路線である。その後、開拓事業を北海道全域に広げるために鉄道敷設は進められ、1907年までには幌内鉄道を伸長する形で旭川までと旭川−名寄、旭川−下富良野−釧路、函館−小樽間などが開通し、幹線ができあがっていく。この中でも日高山脈北部に位置する狩勝峠(地図中の金山−新得間)は急勾配や急カーブが連続する難工事であった。なお、札幌−帯広間の短絡線である石勝線が開業したのは時代が下って1981年のことである。現在の狩勝峠は新狩勝トンネルで通過するが、トンネル内で旧来からの根室本線と石勝線が合流するというめずらしい構造になっている。
この地図の発行は1950(昭和25)年7月である。終戦直後の鉄道運輸施設の荒廃や石炭不足といった危機的状況から多少安定を取り戻しつつある頃である。例えば、木古内と松前を結ぶ松前線(福山線)は1923年に予定線に編入されてから戦中期の混乱の影響で敷設が進まず、終点が渡島大沢となっているが、3年後の1953年には松前までの全線が開通した(その後、1988年に廃止)。戦後、独立採算制の公共企業体(公社)となった国鉄では1950年に「旅行を楽しくする運動」が展開され、そうした動きを受けてか地図中の凡例からは国立公園や道立公園、名所旧跡などが読み取れるようになっている。鉄道が人の移動、物資の輸送だけでなく余暇の旅行の手段としても目が向けられ始めてきた時代の一端が感じられる。
以降、北海道の鉄道は激動の時代を迎える。地元住民の要望に応える新線建設はさらに進められたが、その後にはモータリゼーションの進展、エネルギー革命による石炭産業の衰退、農村・山間部の過疎化、国鉄の累積赤字問題などを受けて赤字路線を中心に廃止が進み、国鉄の分割民営化へとつながっていく。北海道新幹線の開業を契機に、環境に優しく旅情豊かな北海道の鉄道がもう一度注目される、新たな展開を期待したい。(小松崎厚)