〔表紙・裏表紙解説〕
二・二六事件時の天気図と気象観測表(いずれも気象庁提供)
1936(昭和11)年2月26日未明、日本の現代史において唯一無二の軍事クーデタである二・二六事件が陸軍青年将校らによって引き起こされた。「昭和維新」「尊皇討奸」のスローガンを掲げた青年将校率いる将兵約1500名からなる反乱軍が、その達成のために、陸相官邸、警視庁、内大臣私邸、蔵相私邸、首相官邸などを次々と襲撃、斎藤実内大臣、高橋是清蔵相、渡辺錠太郎教育総監らを殺害し、鈴木貫太郎侍従長に重傷を負わせ、永田町一帯を占拠した軍事クーデタ未遂事件である。
二・二六事件の様子を伝えるテレビドラマや映画、歴史書は少なくない。歴史書では、当日の襲撃シーンを「1936年2月26日早朝、降りしきる雪のなか…」と情景描写しているものが数多く見受けられるし、ドラマや映画でもしんしんと雪が降る設定になっているものが多い。
反乱軍が兵営を出たのは早朝4時から4時半頃、そして政府要人への襲撃は5時から6時頃だったので、2月26日当日の朝6時の天気図(表表紙)を見てみる。日本の南岸、四国沖に低気圧(中心気圧は748mmHg、すなわち997hPaである)が進んでおり、東京で雪が降ってもおかしくない条件ではあるが、東京の天気記号は「曇(◎)」であり、「降りしきる雪のなか…」ということはなかったようだ。事件の舞台となった永田町と中央気象台の大手町は2km程度離れているが、それは問題ではないだろう。
ではなぜ、この事件は雪と併せて描かれることが多いのだろうか?天気図や気象観測表を数日さかのぼると、2月23日に東京で雪が降り、最深積雪は36cmで東京の観測史上3位の月最深積雪になるほどの積雪があった。24日と25日には降雪はなかったものの、気温が低かったため、26日もまだしっかりと雪が残っていたようだ。なお、2月26日午後6時の気象観測表(裏表紙)では、東京の天気は「雪(s)」となっており、実際は襲撃の後に再び雪が降り始めたと考えられる。気温も−1.9℃と冷え込みも厳しかったようだ。
気象観測表では、南樺太、満州、朝鮮半島、台湾、南洋庁など、当時の大日本帝国が支配していた地域にも測候所が置かれていたことが伺える。大東亜共栄圏成立達成に向けて、日本が無謀な侵略戦争に突き進むことのきっかけとも言える二・二六事件という転機を象徴するような観測網である。
(財城真寿美 成蹊大学准教授)